かみはちの歴史を巡る ー広島城 築城期ー
投稿日:2024.07.31
基町相生通地区第一種市街地再開発事業では、「広島の“新たな物語”を創る」をデザインコンセプトとして事業を行っています。
そんな基町相生通地区や広島の街にはこれまでどのような物語があったのでしょうか。歴史を通じて探っていきたいと思います。
今回は、広島という街の骨格が出来た広島城築城期にフォーカスして、公益財団法人広島市文化財団 広島城の大室主任学芸員にお話を伺いました。
▲今回インタビューに応じてくださった広島城 大室主任学芸員
1. 大室さんの自己紹介をお願いします。
当財団で学芸員として勤務している内、合計17年程度広島城の発掘などに携わっています。発掘というと縄文や弥生時代の遺跡などを思い浮かべられるかもしれませんが、江戸時代以降の建物や堀の跡を発掘していました。今でも広島城付近では、地面を掘れば昔の歴史を感じられるものが出てくる場所が多いですよ。
2. 広島城とともに基町相生通を含む今の町の原形ができたそうですが、どうして今の場所が築城の地に選ばれたのでしょうか。
戦国武将毛利輝元が中国地方一帯を治めるために、築城の候補地として広島に目をつけ、1589年から築城工事を始めました。当時の物流は舟が主流だったため、太田川と瀬戸内海の水運を利用でき、さらに山陽道沿いである広島は領国を治める拠点になり得ると考えたのではないでしょうか。
3. 広島城が出来たことで城を囲む町の様子はどのように変わっていったのでしょうか。
中世の城は戦うことを念頭に築かれたこともあり、人里から隔絶した城が大半でしたが、広島城は近世的な城で城の周りを家臣団で囲み、彼らを養うための商人・職人がさらにその周りを囲むというような構成でした。城下町ということもあり、武具をはじめ様々な職人が集住しました。
―広島城は城主が何度も変わった城ですが、その度に町の様子も変わっていったのでしょうか。
毛利輝元は関ケ原の合戦で西軍の総大将だったため、徳川家康によって「周防・長門(山口県)」へ転封になりました。結果的に、10年程度しか城を治められなかったので、次の城主である福島正則へ城は引き継がれ、広島城や城下町の整備が大きく進んだと言われています。現在の本通も福島氏の時代に整備され、当時から両側にお店が立ち並び賑わっていたと伝わっています。
福島氏が城にかかる普請(工事)の届出を出していなかったことをきっかけとして改易(領地没収)されたため、次の城主・浅野長晟(あさの ながあきら)の時代は、基本的に修繕などを行う程度でした。
城主が変わる際には家臣はもちろん、商人・職人もいっしょに移り住むこともありました。
―広島城の特徴を教えてください。
福島氏は、前城主・毛利氏を含む西からの侵攻も強く意識しており、西側に建てられた大量の櫓は広島城の特徴にもなっています。また城下町にクランクした道のなごりが今も残っており、敵の進入を防ぐためではないかと言われています。
▲「広島城下町絵図」広島城所蔵(青字は筆者が追記)
4. 今の「基町」という名前は明治時代につけられたそうですが、築城当時はなんという地名だったのでしょうか。
築城当初はよくわかりませんが、本丸・二の丸を中心に三の丸、さらに大手といわれる郭(くるわ)が取り囲んでいました。今の基町相生通地区は当時の「大手」の郭に位置しています。「郭」は区画を意味しており、堀の外は「〇〇町」など一般的な町名でしたが、現在の基町は城内ということで特別な呼び名がついていました。
5. 基町相生通地区のすぐ近くに立町御門跡の石碑がありますが、当時はどういった場所だったのでしょうか。
立町御門は、城内と城外(お堀の内と外)をつなぐ役割を果たしていました。当時は城内に上級武家の街があり、城外に町人や寺町があったため、その境目になっていました。当時の城内は気軽に入れる場所では無かったと思いますよ。
―立町御門以北に区画の大きい上級武士の邸宅が並ぶ様子は、今の官庁街とも重なりますね。
▲広島城博物館の模型にも立町御門がありました。
6. 令和8年に広島城三の丸歴史館がオープンするそうですが、再開発と連携してみたいことや、期待することがあれば教えてください。
やはり広島城は広島ができたきっかけ・重要なルーツであることを知ってもらうのが使命だと思っています。そういったことを発信できるような場になれば嬉しいです。
―今日お話しいただいた通り、商業エリアと官庁エリアの境目にある基町相生通地区だからこそ、歴史への入口にふさわしい場所になりそうですね。
1階のオープンスペースで歴史のイベントなどがあると、もっと歴史を知ってもらうきっかけになりそうです。
―本日は貴重なお話をありがとうございました。
▲広島城の天守閣から基町相生通地区方面を見た様子。
かつてのお城を囲む武家屋敷が今は官庁街に…
かみはちの歴史は城下町時代から脈々と続いていることがよく分かりました。
次回、近代編に続く…?