投稿日:2026.06.11

 

 

前回(2024.7.31)に引き続き、今回は「近代編」として、近代から現代にいたる広島城の役割の変遷や、カミハチエリアの移り変わりなどを広島城の歴史を通じて探っていきます。

 

今回も、公益財団法人広島市文化財団 広島城の大室主任学芸員に貴重なお話を伺いました!

 

 

▲広島城 大室主任学芸員

 

前回のインタビュー記事(大室さんの自己紹介)はこちらから確認できます。

 

 

1.近代~現代にかけて、広島城の役割はどのように変遷していったのでしょうか。

 

明治時代には、一時、県庁が広島城に設置されましたが、その後、広島城周辺には軍事施設が次々と設置され、軍事拠点となりました。
戦後は、広島城周辺に大規模な公共施設が建設され、現在の広島の街が形づくられていきました。

 

2.軍事拠点として具体的にはどのような役割があったのでしょうか。

 

明治天皇と大本営(戦時中の最高統帥機関)が広島城内に移り、臨時帝国議会も広島で招集されました。

 

 

▲石碑(臨時帝国議会仮議事堂跡)

 

 

3.再開発事業地区内に石碑がありますね!ご存じの方も多いと思います。

 

日清戦争開戦後、明治天皇が帰京されるまでの約7か月余り、広島は一時的に、事実上の日本の首都であったと言えます。また、臨時帝国議会の開会にあたり、貴族院・衆議院の仮議事堂が現在の再開発事業地付近に設置されました。

 

4.なぜ広島だったのでしょう。

 

当時、山陽鉄道が広島まで開通したことに加え、大型船が利用できる宇品港が開港したことで軍事輸送の拠点になったと言われています。

 

5.当時のカミハチエリア周辺はどのような様子でしたか?

 

広島城内にはさまざまな軍事施設が置かれ、広島城周辺は軍と行政に関わる人々の拠点となりました。また、輸送網の発達に伴い商業も盛んになり、カミハチエリアを中心として、広島の街は発展していったのではないでしょうか。

 

▲「出典:国土地理院撮影の空中写真(1962年撮影)」
(筆者が説明用の文字と対象箇所の矢印を追加)

 

6.戦後、カミハチエリアの様子はどのように変わっていったのでしょうか?

 

広島城周辺は国有地であることを活かし、裁判所などの官公庁だけではなく、市民球場や広島バスセンターなどの大規模な公共施設や、商業ビルである広島朝日ビルが建設されるなど行政と商業が行き交う場所に変化をしていきました。

 

―まさに「クロス」ですね!!

 

7.最後に本事業に期待することを教えてください。

 

カミハチクロスが完成された後は、カミハチエリア周辺のみならず、広島城周辺も多くの方で賑わうことを期待しています。

 

広島城天守閣は閉城となりましたが、今年度末開業を予定している「三の丸歴史館」に天守の収蔵品の移転を予定しています。

 

カミハチクロスを訪れた足で広島城にもお越しいただき、広島城に興味をもっていただける機会が増えることで、新たな「クロス」が生まれるのではないかと期待しています。

 

―広島城が、近代から現代にかけて、臨時的に日本の首都として機能していたことや、広島の街の発展に貢献してきたことがわかりました。
インタビュー時は収蔵品の引越し準備中でした。普段とは異なる広島城の姿を見ることができ、貴重な体験をさせていただきました。

たいへんお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

 

▲前回インタビュー時の広島城の天守閣から基町相生通地区方面を見た様子

 

 

▲今回インタビュー時の広島城の天守閣から基町相生通地区方面を見た様子
カミハチクロスが立ち上がりました!

 

 

<インタビュアー>
中国電力ネットワーク株式会社
業務部 広島第二用地グループ
中川 拓己
清水 唯花